身体知・全体性・イノベーション

Photo_5_1 頭脳、意思、知力、キリスト教的、西欧的分析論法は、身体、天候、自然にはかなわない。分析、マーケティングは過去事例であって、イノベーションは、狂気、勘、思いつき、が推進する。部分の総和以上の突然変異、の第六勘が、物事の発展を促す。

新規事業会議は、リスクを列挙するのが、発言者の役割みたいになってしまう。昔のハーバードビジネスレビュー掲載の論文に、会議で否定的な意見は、知的に見えるので、人は会議で否定的な意見を述べやすい、というのがあった。西洋的な、分解、分析、からの意見は、危ない新規事業に対して、否定的になってしまう。ソニーは、モルモットといわれながら需要を喚起した。アップル「iポッド」もしかり。サイは投げられた、ルビコンを渡ったシーザーは、決断を悔やまない。正月、日経新聞のインタビューに、塩野七生は、男は勝負をすべし、と語っていた。テレビでは、日本ハムファイターズの新庄選手が、「最初にやる勇気をわかってほしい」と言っていた。洋の東西を問わず、イノベーションは、理論の積み重ねで発生するのではないだろう。

「やってみる」ことが好きな人種と嫌いな人種がいる。どっちでもいいが、困るのは、嫌いな人種は、やってみる人種への批判をすることだ。やってみる人種は、他人への興味はあまりないから、あまり気づかない。真のイノベーションに必要な人種は、やってみる人々だと思うけれど。

現代マーケティングは、いい商品がズラリと揃った中からいかに自分の作品を買ってくれるかという「場面の開拓」にシフトしている。アートのお客様は、お金持ちなのか。大衆マーケットを相手にしたい。そうすると、水墨画も実際の勝負は、自分のファンをどう開拓していくかにかかっているのではないか。                                   

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