水墨画とは

水墨画・反復・植物の知覚

Clouddragon 反復・繰返は、脳で考えることをやめさせる。ということは、脳で考えない知覚があるということだろうか?

例えば、植物は情報を集約する脳はないが、葉の細胞全体が、危険回避行動をとるという。害虫の天敵が好きな匂いを出し、天敵を自らの周りに侍らせ自身の害虫が近づくのを防いだりするそうだ(永井俊哉ドットコム「植物化型情報システムの時代」)以前見た、藤枝守の「植物文様」は、そうした植物の動きを電気的に捉え、音楽にしていたのだ。その音楽は・・・以前述べたとおり心地よかった。その心地よさは、記憶にあるものを思い出したのではなく、ただ心地よかった。

植物の知覚を、水墨画で再現できるか?間接的であるが、脳で考えない手法を考えれば、一歩近づけるのではないか?同じ模様を繰り返してはどうだろうか?龍を描くときの雲、植物の茎など、ほとんど手くせで描くモチーフがある。雲や、複雑な茎などは、個々のつながりを追っていくうちに面倒くさくなって、ボーとする。心地よさ、ひらめきがやってくる瞬間があるときと無いときがあるが・・・

水墨画が禅画の系統を引いているのも、ちょっと理解不能な公問のような、絵を見ているうちに面倒になってボーとする瞬間の作用に、禅のお坊さんたちが気づいていたからに違いない。それを現代のモチーフにあわせて描ければ、新たな世界が広がる。

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