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主観性と客観性

矢代幸雄はまた、ダビンチと東洋絵画の精神性について共通点があると述べている、「レオナルドに宿っていた偉大なる心のうちには、東西両世界に相通じるような、大きな人間性の基盤より発したかと思われるような、何ものかが、豊かに含まれており、(略)」 表面的な技術を超えた、または技術で発露される表現の精神性についての「偶然な必然」を観察している。一休禅師の「心とはいかなるものをいふやらん墨絵にかきし松風の音」をあげ、自然描写の内面化を進めた結果、客観性が主観性を獲得すると述べている。

線画と滲み:水墨画の発展

Nijimi 矢代幸雄の「水墨画(岩波新書)」に言う、「白描画は、一種独特なる美と表現力とを持ち得るにいたったとはいえ、畢竟、それは墨画発展途上の一段階たるに過ぎない、p.10」。同感である。
 
現代日本に生活している人からみて、正直昔の仏教絵画を「これは傑作だ」といわれてみても、墨で描いた漫画にしか見えず、どこに素晴らしさがあるのか、左脳で考えたところで、すでに絵の直感的な素晴らしさは失われている。

矢代幸雄はさらに、「線描それ自身が雄弁なる表現力を持ち、流走活躍するようになれば、(中略)、線描それ自身、および線描と線描の間に、墨色の調子が暈成させるという機運を感じ、(中略)線描それ自身にも、痩肥、すなわち細い太い、(中略)暈染が線描と線描の間に催されてくるのは、もっとも自然な進化であった(p.10)」と述べ、滲み、暈しへの発展を高評価している。