東西の普遍と古今の類同

社会学者澁谷覚の業績に認知心理学のフレームワークをネットワーク分析に応用した研究がある。インターネット上のコミュニティで、自分と似たような人が同じ意見を述べていると、自己の意見に確信を持つというものである。

澁谷が紹介する社会的比較過程理論では、「個人は、意見そのものと、人そのものの2点を他人と比較し自己の意見形成を行う」という。ここに、1960年代に活躍した社会学者Katsの人の好みに関する知見がある。「似てると思うこと」=「類同性の獲得」は、表面的な形、色の類似が気になるのではなく、本質的には、構造的な類似=「役割の類似」のほうに人間は興味を示す、というものだ。このKatzの好み、意見形成のフレームワークを、アート作品への感動、好みが何故起きるか?ということに、当てはめて考えてみる。

アートの意見を「作品」のメッセージ、題材、モチーフとし、アートそのものを「作家」の人となり、とすれば、個人があるアート作品を好きになるのは、絵の見た目を気にいり、さらにアーティストの属性に親近感を感じる、という過程を踏む。現代の若者が、昔の水墨画、仏教画を見ても、何も感じないのは、その仏教画の構図と構造的な類同性を記憶に持っていないからである。絵を見て何かを感じるのは、脳の引き出しにしまってある思い出とシンクロするためである。千年前のモチーフは、DNAの中に記されているかもしれないが、それは映像として取り出せないものである。ゆえに、多くの水墨画が描く、仏像、森、風などの風景を原体験として持っていない現代の若者は、昔の絵を見ても何も面白くない。美術史家の小林忠が、「墨絵の譜、ぺりかん社」の雪舟の章(p.45)で、「風土とそれを表現する絵画の様式との間に密接な関係が成り立つことは、古今と洋の東西を問わず自明である。」と指摘するように、作品の成立過程においても「同時代性」は必要不可欠な要素である。私が北欧の白夜を体験し、ダリの時計がねじれた絵を理解し、冬を体験してムンクの叫びに親近感を感じたのと同じ経験が必要なのである。

つまり、矢代が指摘したとおり絵画の精神性は、東西には共通点・普遍性は見出すことができる。しかし、時代を超えた古今を貫く普遍性を獲得するのは難しい。なぜなら、Katzのフレームワーク、構造的な類同性は、時間を超えて発揮できるものではないからだ。