CBSの「CSI」は、前週放送した回を、インターネットで視聴できる。過去4週分くらいまである。NBCとFOXの「Hulu(フールー)」は、申し込みが殺到(かあらかじめ少ない設定か)してるのか、申込できず視聴できない。ABCも、デスパレートな妻たちとかアグリー・ベティーとか前週分を視聴できるようになっている。
アメリカのネット配信ベンチャー企業、「Veoh」とか「Zip.TV」とかは、「ブランド価値は、テレビ局じゃなく、番組(SHOW)にある」と主張していた。Veoh、dave、は、好きな番組を検索して、いつでもそれを見ることができるサイトだ。ユーチューブのようなUGM (User Generate Media)が、映像配信のキーコンテンツだと睨んでいる。
NBC、ダウ・ジョーンズ、ABC、テレビシンジーケション、またレコード会社の人たちは、コンテンツを作れば誰かが集めて(アグリゲート)、販売しなければならないから、その集め方にまだブランド価値があるという主張をしている。
時代の流れは、個々の番組に向かっている。ハリウッドの映画も、1930年代くらいまでは、スタジオごとに作品のカラーが違っていた。スタジオ創設者の性格が色濃く反映されていた。コロンビアはちょっとやさぐれた雰囲気、MGMの映画は豪華絢爛だ。しかし、今どきアメリカン・ギャングスターがユニバーサル、なんて気にする人はいないだろう。
音楽レーベルも、デッカはシカゴ・ブルース、ストーンズとか、モータウンはR&Bとか、デフジャムは・・・とか特徴あった。
最近の本屋さんも、出版社ごとの陳列ではなくて、著者別に並べるところがある。
プロフェッショナル、作り手側の論理が色濃かった時代から、消費者、クリエイティブもするプロシューマーの時代に世の中が変化している。カスタマーセントリックな時代だ。
消費者主導の社会は、流行が暴発する社会だ。11月3日付読売新聞で山崎正和氏は、インターネット上のコミュニティは、頭なき怪物だと指摘している。ええじゃないかのようなヒステリックな動きが起こりやすい。
プロフェッショナル、パッケージ、チャンネルとアマ、ダウンロード、検索、新たなマーケティング論が必要な世の中だ。